今日のウォーキングでバラが咲いているのを見ました。
バラは一輪でも絵になるからいいですよね。
みんながみんな、バラにはなれないけど。
先日、友人と話してからずっと心にひっかかっていたフレーズがありました。
それは、「優越感がある」という言葉。
友人は、会社を辞めたことに対して、そう言いました。
同期たちは今も会社で働いている。
自分は会社を辞めて、今こうやって平日の昼間にランチをしている、
その優越感、てこと。
その優越感、てこと。
私も、感じてないことはないです。
でも、その言葉をあえて口にすることに違和感が残りました。
それがなぜなのか、ずっとひっかかっていたのですが、
昨日わかりました、少しだけ。
それは「私はもう、優越感なんてもちたくない」ということでした。
優越感は、人との比較、競争から生まれます。
そして、優越感は劣等感とセットになっています。
人より優れていれば、優越感を味わえるけど、
人より劣っていれば、劣等感に悩まされる。
優越感だけ味わう、という都合のいいことは残念ながらできません。
なら、
私は優越感なんていらない、と思います。
これは、「逃げ」ではないです。
「競争」とは次元の違う世界で生きてみたいということです。
おせちもいいけど、カレーもね、
みたいな(笑)。
余計、伝わらないかもしれませんけど。
だから、優越感を感じたり、感じさせたりすることが
前提となっている「優越感がある」発言に違和感を感じたんだと思います。
前提となっている「優越感がある」発言に違和感を感じたんだと思います。
もう少し掘り下げてみたいけど、
今日はここまでにします。