今日も風が強い日でした。
毎日同じこと、言ってますけど。
昨日、母の付き添いの帰り道のこと。
毎日同じこと、言ってますけど。
昨日、母の付き添いの帰り道のこと。
走るタクシーが地元の中学校に差し掛かったところで、
何人かの中学生が黒い筒をもっているのを見ました。
昨日が卒業式だったようです。
そういえば3月ですから、あちこちで卒業式の季節ですね。
学校を卒業して気の遠くなるほど長い年月が経ち、
周りにも小さい子どもがいないので、今は卒業式とは無縁の生活です。
自分の卒業式がどんなだったかは、
すでに覚えていません。
ただ心情として、
悲しくなかったことだけは覚えています。
中学を卒業するということは同時に、
高校への入学が待っているということでもあります。
別れの悲しさより、新しい出会いへの期待のほうが
強かったということでしょう。
友達とは、その気になれば、またいつでも会えます。
先生とも、会おうと思えば会えます。
会えないのは、中学校という「場」です。
クラスメートと先生、学んだ教室。
その空間はもう二度と再現されることはありません。
卒業が悲しいとしたら、その空間との別れが悲しいということになります。
卒業が悲しくないということは、
その空間にさほどの愛着がなかったということでしょう。
まあそもそも私の場合、
学校があまり好きじゃありませんでしたからね。
卒業式で泣く子というのは多少いた気がしますが、
その子たちはきっと「学校大好き」な子たちだったんでしょうね。
私にはわからない感覚です。
同じ昨日、何かのテレビ番組で高校生が歌う場面を見ました。
テレビに映っている女の子たちはほんとに楽しそうで、
高校生活を心から楽しんでいるように見えました。
それを見て、ちょっとうらやましいと思ったのは、
卒業が悲しくなかったこととどこかで通じている気がします。
そしてそれは今にも通じています。
人生の半分を生きて、今こそ
「何かを惜しんで生きる」という感覚が大切なのではないかと思います。
一日一生。
命は永遠ではないから、
同じように思える日も、決して同じではないから、
今日という日を大切に生きようと思います。
そしてそれは、まわりの人、
家族や親戚や友達を大切にするということでもあります。
いつか必ずやってくる別れの日までは、
大切にしていこうと思います。
励みにしてます。どれかおひとつ押してもらえたら嬉しいです。
こちらも押していただけたら嬉しいです。
投資記事はこちらに引っ越しました。(もうすぐ50歳。ひとり女の株式投資)
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昨日が卒業式だったようです。
そういえば3月ですから、あちこちで卒業式の季節ですね。
学校を卒業して気の遠くなるほど長い年月が経ち、
周りにも小さい子どもがいないので、今は卒業式とは無縁の生活です。
自分の卒業式がどんなだったかは、
すでに覚えていません。
ただ心情として、
悲しくなかったことだけは覚えています。
中学を卒業するということは同時に、
高校への入学が待っているということでもあります。
別れの悲しさより、新しい出会いへの期待のほうが
強かったということでしょう。
友達とは、その気になれば、またいつでも会えます。
先生とも、会おうと思えば会えます。
会えないのは、中学校という「場」です。
クラスメートと先生、学んだ教室。
その空間はもう二度と再現されることはありません。
卒業が悲しいとしたら、その空間との別れが悲しいということになります。
卒業が悲しくないということは、
その空間にさほどの愛着がなかったということでしょう。
まあそもそも私の場合、
学校があまり好きじゃありませんでしたからね。
卒業式で泣く子というのは多少いた気がしますが、
その子たちはきっと「学校大好き」な子たちだったんでしょうね。
私にはわからない感覚です。
同じ昨日、何かのテレビ番組で高校生が歌う場面を見ました。
テレビに映っている女の子たちはほんとに楽しそうで、
高校生活を心から楽しんでいるように見えました。
それを見て、ちょっとうらやましいと思ったのは、
卒業が悲しくなかったこととどこかで通じている気がします。
そしてそれは今にも通じています。
人生の半分を生きて、今こそ
「何かを惜しんで生きる」という感覚が大切なのではないかと思います。
一日一生。
命は永遠ではないから、
同じように思える日も、決して同じではないから、
今日という日を大切に生きようと思います。
そしてそれは、まわりの人、
家族や親戚や友達を大切にするということでもあります。
いつか必ずやってくる別れの日までは、
大切にしていこうと思います。
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